縄文時代から弥生時代へと移行して行く過程において、その主体を担ったのは、朝鮮半島から海を渡ってきた異国の人々であった。新しい文化、新しい生活様式、稲作の技術、医療ほか、有りとあらゆるものが影響され、一新されて行ったのだ。 つまり民族として辿れば、そのDNAに関して、私達日本人と、韓国の人達との間に通呈しているものはほぼ同じものと言っても過言ではないと思う。 しかしながら、その基軸として掲げている文化の根幹には大きな隔たりが有り、今、現在に至っては、まさに真逆の言質と表現によってお互いが対峙しているとさえ感じられる。 言うまでもなく、我が日本民族の文化、文明の基調になっているものは゛和“と言う考え方である。その精神性を産み、育んでくれたものは、四季折々の豊かで、時に厳しい自然であった。それに反して韓国民族の文化、文明の基調になっているものの1つとして゛恨“の文化と言うものが上げられる。 今、日韓の主に国家レベル、政府間レベルにおいて安全保障上の輸出管理に関連して、対韓輸出規制強化の施策が大きな問題になっている。 そしてそれに対しての文大統領を筆頭とした韓国政府の様々な対応や言質が、まず自らの反省が無いと言う点が指摘されると言う所をとっても、あまりに一方的で感情的なものである事は、私達日本国民が持つ韓国へのイメージを、残念ながら至極悪いものへと押しやってしまっているようにも感じる。わがままで物分かりの悪い、やっかいな民族!という印象である。 この点について、元々は同じDNAを持つ民族として、゛温故知新“の物差しを当てはめて再度考える事にしたい。 そもそも、韓国の民衆の思想は、植民地支配、民族の分断、独裁政治の圧政という過酷で暴力的な現実がベースに有る。 単なる恨みや辛さだけでなく、無念さや悲哀、無情観、虐げる側がある優越感に対するある種の羨望や妬み、悲惨な境遇からの開放願望など、有史以来繰り返されてきた抑圧と対立の、いわば過酷な歴史的政情と生活環境が、゛恨“と呼ばれる韓国の根幹を作り出し、今日に至っているのだと思う。 このような考えを思い巡らせてみると、゛温故知新“と言う価値意識の姿勢が、改めて価値を持って浮上してくる。 日本民族と韓国民族との理解と友和について、その原点に1度立ち返る必要性が有り、そこから始まった民族としての社外環境、山川草木が与える自然環境とその関わり方、さらに民族として辿って来た歴史的背景などをしっかりと知る事が何よりもまず必要不可欠なのだとして、襟を正す必要があるのだと思う。 事実として存在していた日本による韓国の併合の時間と歴史について、そこに対して私達が為してきた韓国の゛恨“の意識への影響と言うものについても、未来に向けて新しい価値や繋がりを創造して行くと言う方向性のもとに考えたいと思う。 そしてこの課題に向き合う中で、私達がしっかりと認識しなくてはならないものが、日本の全ての所に存在する豊かな自然の恩恵と言うものだと思う。多種多彩な表情で、私達の生活を刺激する四季の移り代わりの豊穣さ、山と里と海や川の恵み。その中で育まれた自然への感謝の深い心情が、゛和“の文化、文明を作り出して来た。それはつまり韓国云々の問題以前に、すでに私達すべての日本民族に付加された特典として考察して行くべきものだと考えたい。