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甲府ライオンズクラブ
Kofu Lions Club

〒400-0032
 山梨県甲府市
 中央1-12-37
 IRIXビル8F  地図
 TEL: 055-221-0808
 FAX: 055-221-0707
 E-Mail: info@kofu-lc.jp
 



 
「We Serve の原点に触れて」


 私事ながら、ここ2年余りの朝の日課として92歳のお袋さんの手を引いての散歩がある。近くの太田町公園から一蓮寺の寺社内を通り、稲積神社へとゆっくりと歩いて廻るのである。

 加齢と共に「坐骨神経痛」で眠れなくなって、「脊椎間狭窄症」と診断され、当時丁度90歳と高齢であったお袋にとってはかなりにリスクを伴う手術であったが、幸い肺と心臓の状態にまだ力が有ったので、この手術を決行、貢川整形の池上院長先生の卓越した技術のおかげも有って、歩行時や就寝時の背中の痛みが軽減し、その年の秋頃に予定されていた孫の結婚式には、車イスも杖にも頼らず、自分の足でなんとか歩いて出席したいと言うお袋さんのたっての願いも有った為、朝食を済ませてからの30分間くらいをまず目標として散歩という歩行訓練を始めたので有った。


 そしてそれから2年と言う歳月が経過した今では、もちろん杖も使わず一時間くらいの散歩も難なく出来るようになった。

 2ヶ月おきに診察を受ける時、当の執刀医の池上院長から゛驚くべき回復状況です!”とお墨付きを頂く程の術後経過で、お袋さん本人の生きる自信にもなっているように感じる。


 不思議なものだ、と思う。


 この毎朝の散歩で太田町公園から一蓮寺へと足を伸ばし、稲積神社での参拝を終える道筋の時間、それまでは何気なく通り過ぎて行った公園内のあちこちの場所、そしてふとしたきっかけで出会う人、言葉を交わした何人かの人達、その瞬間瞬間の中で、私もお袋さんも実にたくさんの『縁』や『学び』というものを経験し、手にして来ているのである。

 ゛温故知新”の゛温故”というものが゛故きを知る”という定訳のものから膨らんで、゛故きを温める!”と言った過程を踏んで、故き時代や過ぎ去った多岐に渡る時間がまさに質感を伴って、そしてその瞬間を生きてきた人達の温かな体温を伴って私達に様々なドラマやエピソードを語りかけて来る。その事に何度も驚き、そして感動させられて来た。


 たとえは、太田町公園には幾つかの記念碑や石碑が建てられているが、その中の1つに、「K.M グリンバンク女史之碑」と言うものが有った。
甲府市の名誉市民として評された記念碑である。

 大正9年に来日し、山梨英和女学校に教師として赴任したと有る。朝の散歩の途中でこの碑に気付いて足を止め、そこに記された一文を私が読んだ時、その時のお袋の所作が今でも忘れられない。

 小さな声で、「グリンバンク先生、!」と言ったきり言葉に詰まり、両手を合わせて深々と頭を下げたそのお袋の目からは、幾つもの涙が伝って落ちたのである。聞けばお袋さんが女学校の時に教師であり、後の校長先生であったと言う。

 温厚で誠実で女学生みんなに慕われていたと話してくれた。30有余年を甲府市に在住し、真に民主的な学校運営に心身を捧げたと碑文の中にあった。


 中途太平洋戦争の為帰国を余儀なくされたが、カナダへ帰った後も日本人の福祉と教育に尽力されたそうで日本が戦禍にまみれ、甲府空襲を受けたと言う報を聞くやいなや、「我が身を置く小屋さえ有るならば、」と自らの心を鼓舞し、未だ敗戦の混乱のただ中に有る占領下の甲府にいち早く帰り、再び英和女学校の校長として教壇に立ち、運営にも力を尽くして多くの課題を克服して行ったのだと言う。

 その後もグリンバンク女史は戦後の日本人と等しい生活に身を置き、社会奉仕に努めて女学生達の教育に心血を注いで、日夜の労苦を厭わなかったとも記されている。


 昭和34年に本国に帰国し、58年に91歳の生涯を終えたと言う。

 ゛我が身を置く小屋さえ有るならば、、”と言うこの覚悟でカナダの一女性が戦後の日本のまさに廃墟の地に再度降り立ち、その教育に生命を捧げてくれたと言う事に、私も深い感銘と、心底から沸き上がる感動を押さえる事が出来なかった。


 そしてお袋さんは、有志の女学校時代の友人達と共にカナダへと赴き、このグリンバンク先生の墓碑にお参りをして来たのだと話してくれた。

 太平洋戦争で半ば強制的に英和を追われる形になった時も、このグリンバンク先生をお見送りしょうと授業を抜け出し、閉めきられた窓から大きな声を出してちぎれんばかりに手を振り、女史へのお別れの言葉を叫んだ事も鮮明に覚えていると言っていた。

「甲府市 名誉市民 K.M グリンバンク女史之碑」
 


一蓮寺
 


 私のお袋さんの女姉妹五人も、そして祖母も山梨英和女学校の出身であったし、現に実在したこの女史の生き様やゆるぎない社会奉仕や教育への姿勢や信念というものに向かい合うと、「ボランティアの原点 We Serve 」と、そしてボランティアの為に為すべき高い方向性とも言うべきものを、深く考えないでは居られなくなる。

 ここにも゛故きを知り”そして゛これから先の未来について考えて行く”と言う「温故知新」の1つの真髄があると感じられるのである。


 このK.M グリンバンク女史が授与された名誉市民の称号は甲府市制施行から約130年間の長い年月の中で、僅かに三名を数えるだけなのだと言う。
市政の振興と地方文化の向上に粉骨砕身の努力を為された第18代甲府市長の斎木 逸造氏と、学校教育、社会福祉、特に老人施設の建設等に寄与し、甲府市の繁栄に一大貢献を為した 平林 庫造氏 の二人。そしてグリンバンク女史だけなのである。

 来年2021年に、甲府市で「日本女性会議」が開かれる予定があるとされている。

 この会議の基幹となっている「平等、開発、平和」と言う理念を念頭に置いての討論と創造的な時間と言うものに、実はK.M グリンバンク女史が与えている影響は大きなものが有り、彼女の提唱していた理念や生き方そのものが今の私達に伝えてくれるメッセージには、「女性の自立、社会での役割り、男女平等の制度の確立」など、時代を超えて受け継がれるべきテーマを全面的に再確認すべきだと、それを真っ直ぐに伝えてくれる力強さが付帯していると感じられるのだ。


 今も早朝の散歩の折り、私のお袋さんはグリンバンク先生の「甲府市 名誉市民 K.M グリンバンク女史之碑」の前で必ず立ち止まり、姿勢を正して両手を合わせている。

 過ぎ去って来た過去が今に結び付き、その時間がまた新しい意味をもって私達に多くを与えてくれているのだと感じずにはいられない一時となっている。





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 ~新型コロナウィルスへの対応の1つとして
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